返ってきた背番号「3」

毎日新聞 5月6日(月)朝刊


それは、懐かしい響き、懐かしい光景だった。「4番、サード、
長嶋茂雄、背番号3」。
東京ドームで5日行われた国民栄誉賞表彰式の直後の始球式。
「ミスター」長嶋茂雄・元巨人監督(77)が打席に立ち、ス
イングを披露した。


 アナウンスが鳴り響くと、背番号3の巨人のユニホームを上
半身だけ身にまとった長嶋氏が登場。
2004年に発症した脳梗塞(こうそく)の影響で、右半身の
まひが残る長嶋氏は、左手1本でバットを持ち、打席に入った。


マウンドには、同時に国民栄誉賞を受賞した愛弟子の松井秀喜
氏(38)。


始球式では空振りするのが打者の習いだ。
しかし、長嶋氏は左手1本で本気で打ちにいった。
投じられたのは顔付近の高いボール球。
「気持ちが高ぶりました。
打とうという気持ちがあった」と懸命に振ったが空振り。
思わず苦笑いを浮かべたが、球場は大歓声に包まれた。


先だって行われた表彰式では、「松井君と一緒に(国民栄誉賞
を)もらったとあって、非常にありがたく御礼申し上げます」
とあいさつ。

脳梗塞で倒れて以降初めて、球場でファンに肉声を届けた。


リハビリ指導にあたる医師の石川誠さん(66)によると、当
初は「一般人なら歩くのもつえが必要というのが限界」という
深刻なものだった。


石川さんの病院に入院した04年当時は通常、リハビリは2時
間まで。
しかし、病院の配慮で1時間増やした上に、長嶋氏は自前でト
レーナーを雇い、さらに1時間以上をリハビリに費やした。


野球日本代表の監督を務めていた04年アテネ五輪に行きたい
という強い思いで取り組んだ。
「一般人の3倍のスピードで、3倍良くなった」(石川さん)


五輪に行く夢はかなわなかったが、退院後も週2回通院。病院
職員に軟らかいボールでトスを上げさせ、左手1本でバッティ
ング練習することもあった。


石川さんが心に残っている長嶋氏の言葉がある。「リハビリは
裏切らない」。
その言葉の通り、こつこつと血のにじむような努力を積み重ね、
ミスターが球場に帰ってきた。



国民栄誉賞を二人が受賞した時には、色々な論議があったよう
だが、この日このテレビシーンを見たマスコミを始めとする一
般国民の反響は、とても好意的で、師弟愛に対しても共感する
コメントに満ちていたと評価できる。



やはり、これも長嶋・松井両氏の人徳によるものであろう。
末尾ながら、改めて述べておきたい。「おめでとうございます。
お二人の今後の益々のご活躍を期待しています。」